国宝-赤糸威鎧所蔵 青森県八戸市櫛引八幡宮
 
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伝記
櫛引八幡宮

イラスト:櫛引八幡宮


櫛引八幡宮ものがたり

櫛引八幡宮には昔から伝わるものがたりや言い伝えがいくつかあります。
ここでは定期的に更新して皆様にお伝えしていきます。

 
■その一
ー流鏑馬のことー

櫛引八幡宮は、南部一の宮とも言われ、南部家の総氏神です。根城南部家とも、深いかかわりを 持ち続けてきた神社です。

建武年間に、南部師行が根城に城を築いたころ、南部家の総本家にあたる三戸南部家は、 大事な氏神である櫛引八幡宮の面倒も見れないほど、その勢いが衰えていました。 そこで根城の南部師行は本家の志を継ぎ、神社への手当や恒例のお祭りを、すべて再興しました。

ただ再興したばかりでなく、領内安全・子孫繁昌・武運長久の祈りを込め、流鏑馬(やぶさめ)の 神事も奉納しました。その師行の子孫である、根城の10代目の光経は応永18年、秋田への 出陣にあたり、うやうやしく戦勝祈願を収め、八戸へ帰ってきた光経は、祈願の際にお誓いをした 通り、次のものを八幡宮に奉納しました。

「陣中御着用の御具足、着替共に2領。
内1領は正平22年、7代信光君、神大和守御退治の節、南帝より御拝領の御具足なり。 並に御太刀1腰。
備州長船幸光。 御乗馬青毛乗替鹿毛。
是より以来、流鏑馬の馬この両毛を用ふ。なかんづく射手馬には、この両毛の内にあらざれば 用ることなし。」
(「三翁昔語」巻の二)

流鏑馬

この秋田で勝利を収めた、応永18年の8月15日の櫛引八幡宮の大祭には、光経は特に 念を入れ、流鏑馬の神事を奉納したと伝えられています。

流鏑馬というのは、馬に乗り、走りながら鏑矢(かぶらや)で的を射る行事です。櫛引八幡宮の 場合、神事興行というかたちで、神社の境内の中の馬場で行われ続けてきました。その行事を、 光経は戦勝の記念に、改めて入念に行うことにしたのです。この行事に参加する武士のことを、 役者と呼んでいますが、この年から新しく七戸からも参加させることにしました。

三戸の殿様の守行のところからも、「秋田征伐の勝利は、三戸南部家としても、櫛引八幡宮に特に感謝報恩の誠を 捧げなければならぬ故、三戸よりも役者を差し出すであろう」 との申し出がありました。

よってこの年から、櫛引八幡宮へ奉納の流鏑馬の神事は、八戸(根城)・七戸・三戸の 各南部家から役者が参加し、相勤めるのが家例になりました。

この神事にはさまざまのしきたりがありました。例えば役者が、神社へ参拝するときは、 不浄のものを踏まないために高足駄を使用するとか、15日の朝は、役者が神社へ参拝する以前に 一般の人々の参詣はさせない等の決まりもあったといわれます。

根城南部家が遠野へ移ってからも、わざわざ役者が遠野からやってきて、流鏑馬の神事が、 幕末のころまで継続されたのでした。この流鏑馬の神事は、 昭和59年11月7日に、社前の新馬場で復興され、毎年秋の例大祭で行われています。
 
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